世知辛い昨今ホントにタナボタはあるのか?プチタナボタ、反タナボタ、非タナボタ、タナボタイズム、タナボタライフを考察
20241128
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20060913
親父の生き方
昭和3年生まれのボクの親父は、多感な青春時代を戦中・戦後の混乱の中で生きた。お袋と結婚し二人の子供をもうけ、家を建ててすぐ伊勢湾台風に襲われた。紡績会社に勤めていた親父は、台風の日家に帰らず、床上まで浸水した工場の倉庫に積まれていた製品を汚泥水に浸からない様、必死で運び出したらしい。もちろんお袋には文句を言われた。兄とボクが結構な大人になるまで、「伊勢湾台風の時、お父ちゃん帰って来うへんで小さい子二人抱えてこの家守ったんだで。ブツブツブツブツ」その後の親父をボクはあまり良く知らない。大抵の家庭がそうであるように年頃の男の子は父親とは話さない。ふたたび親父の人生にボクが登場するのはペニーレインを造ったときだ。お袋と交代で毎日のように店で使うタオルを洗って干しに来てくれた。娘が生まれてからは幼稚園を卒園するまで毎日面倒を見てくれた。いや、小学校の4年ぐらいまでそうだった。今18歳の娘は彼女の人生の半分以上を親父とお袋とに育ててもらっているのだ。2年前お袋が心筋梗塞で入院した。10ヶ月間お袋の洗濯物を市民病院にとりに行き洗って届けた。お袋が退院して車椅子の生活になった時、毎日二人分のご飯を作った。もちろん味付けなどお袋に文句を言われながら…。その親父が9月9日、重陽の節句に逝った。秋に大県神社で行う菊の盆栽展でいつも優勝する親父に相応しい日だった。いつも病院に連れて行ったボクに気遣ってか葬儀の日はボクの店の定休日・月曜だった。今まで「ありがとう」親父。
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