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世知辛い昨今ホントにタナボタはあるのか?プチタナボタ、反タナボタ、非タナボタ、タナボタイズム、タナボタライフを考察
20241128 [PR]
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2004年の12月にお袋が心筋梗塞で入院してから、親父はお袋の世話をした。その少し前に親父自身が脳梗塞で救急車に乗っている。その時は幸いにも血栓の飛んだ場所が親父の身体の自由を奪いはしなかった。90坪の敷地の手入れをし、洗濯をし掃除をし、よく鍵をかけ忘れた。どんな食材でもいつも同じ味になるごった煮風のものを作っては食べ、度々ガスの火をを切り忘れた。犬の散歩をし、40坪ほどの畑仕事をし、それでも何とか一人でやってこれた。2005年盆明けにお袋が退院した。要介護3の認定だった。親父の負担は目に見えるものより、かなり大きかっただろう。その年の11月に2度目の脳梗塞で2週間入院した。今度のそれは親父の左足の麻痺を引き起こした。退院しても親父の生活は基本的には変わることはなかった。お袋の診察日に付き添い、自分の診察も月1~2度あった。ボクはいつも親父に「ありがとう」を云われた。「ありがとう。わりぃーなー。すまなんだ。」がボクに対する親父の口癖になった。ボクが実家へ行けなくて電話で様子を伺う時でも「ありがとう。でぇぁーじょーぶだで」が電話口の向こうから聞こえた。そして、お袋が倒れて620日目で親父の「ありがとう」は途切れた。
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想えば想うほど
こんにちは。
私も先月母をおくりました。これで両親ともにそろって散歩していることでしょう。
四十九日を済ませ、遺品整理をぼちぼち始めました。
卒業証書に生徒手帳。学生名簿に新入社員の辞令。初月給の月給袋に初任給4万5千円の明細。やっぱり長兄の品が一番多い。娘の私から見てもなんでこんなものまで残していたのかと思う品々が出てきました。
大笑いしていた兄は、だんだん静かになって束にしてある給料袋をじっとにぎっていました。

お葬式は嵐のように過ぎていきます。本当に親がいなくなったことを実感するのは、遺品をまとめ出してからかもしれません。

父の法要のおり、
「49日が過ぎて、あの世に行かれるまで、故人はこの世におられ、あの世への道を探しておられます。皆さんが、毎日毎日『こっちだよ~』と朝な夕なに故人を思い出せば出すほど、きれいな、しっかりとした道になって、花も咲きます。だから、毎日『こっちだよ~』って思い出してあげてください」

っていうお話を思い出しました。
aaty URL 2006/09/18(Mon)15:09:40 編集
無題
aatyさんありがとうございます。本当にまだバタバタしていて親父のことを思い出すのはブログを書くときだけの感じです。ひきかえ、一日中部屋の中にいるお袋は…淋しいでしょうね。
店長 2006/09/18(Mon)18:32:26 編集
御冥福をお祈り致します
お父様が亡くなられて10日あまり。
その肉体は滅びても、なお残る思念の深さ。
 
そうなのです。
人は肉体が滅びすぎた後も、その意識は永遠に生き続けているのです。
 
それではどこに生きているというのでしょうか。
それは、故人を想う人、一人一人の心の中に生き続けているのです。
ただ、人の目には見る事が出来ないだけなのです。
 
故人の事を想い偲ぶだけで鮮明に思い浮かべる事が出来るのは、その意識が永遠に生き続けている証拠なのだとも言えるのでしょう。
 
そして、すべてはひとつでもあるのです。
 
  from 鬼頭千博♪
 
鬼頭 千博 2006/09/21(Thu)02:29:50 編集
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