世知辛い昨今ホントにタナボタはあるのか?プチタナボタ、反タナボタ、非タナボタ、タナボタイズム、タナボタライフを考察
20241122
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20120911
重陽(ちょうよう)
9月9日 菊の節句のことである。
お袋の50日祭をした。
うちは神道なのだ。
仏教でいうところの49日に当たる。
ちょうど6年前のその日、親父が亡くなっている。
だから親父の6年祭でもある。
お袋の納骨もその日に済ませた。
親父の文句が出ないよう親父の骨とは少し離した。
人間とは面白い。
死んで骨になっても残された家族は
その人がまだどこかにいるように扱う。
宗教を超えてそういう感覚が人には残る。
八百万の神様を信じているわけではない。
でも、親父やおふくろはどこかその辺にいる。
そういう感覚がある。
誰も住まなくなった実家の庭に
親父が育てた小菊が今年も咲いた。
お袋の50日祭をした。
うちは神道なのだ。
仏教でいうところの49日に当たる。
ちょうど6年前のその日、親父が亡くなっている。
だから親父の6年祭でもある。
お袋の納骨もその日に済ませた。
親父の文句が出ないよう親父の骨とは少し離した。
人間とは面白い。
死んで骨になっても残された家族は
その人がまだどこかにいるように扱う。
宗教を超えてそういう感覚が人には残る。
八百万の神様を信じているわけではない。
でも、親父やおふくろはどこかその辺にいる。
そういう感覚がある。
誰も住まなくなった実家の庭に
親父が育てた小菊が今年も咲いた。
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