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世知辛い昨今ホントにタナボタはあるのか?プチタナボタ、反タナボタ、非タナボタ、タナボタイズム、タナボタライフを考察
20250723 [PR]
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先月のことである。滋賀の渡岸寺(向源寺)へ行って来た。国宝めぐりの再開である。ここの観音様は平安初期の作と言われている。ヒノキの一木造りで177cmほどある。渡岸寺は浄土真宗の寺であるが信長の時代、滋賀のあたりの寺は御多分にもれず焼き討ちにあっている。この観音様も土の中に隠されて難をまぬがれている。全国に十一面観音の国宝は7躯あるそうだが、腰をわずかにひねった優美な姿のものはここの観音様だけだ。立ち姿が艶っぽいので後ろからも拝観できるようになっている。国宝の仏像で真後ろからも見られるのは平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩意外ボクは見たことが無い。右足から今まさに歩き出そうとする姿は真後ろから見るとまるでモンローウォークを見ているようで実になまめかしい。頭上の小面も他の十一面観音とは違い大きく繊細に造ってある。実に素晴らしい国宝で久々の大ヒットであった。
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ピーター・ポール&マリーのマリー・トラバスが逝った。フォークをやってる友達と高校時代に一番練習したのがPPMの「悲惨な戦争」だ。当時の風潮でもあったアメリカのベトナム戦争反対を唄ったグループは星の数ほど居たけど、70歳の平成の世になっても反戦・反体制の唄を唄ったグループをボクは知らない。「パフ」「ア・ソーリン」「500マイルもはなれて」「花はどこへいった」「天使のハンマー」「「レモントゥリー」など40代半ば以上の人なら曲名や歌手は知らなくても必ずどこかで耳にしている。ボクは「悲惨な戦争」でのマリーのソロパート OH Johnny
Oh Johnny,I fear you are unkind. I love you far better than all of mankind. が一番好きだった。やすらかに・・・合掌。
9月9日、重陽の日のことである。親父が逝って丸3年が経ったその日の夜、高校の時の友人からメールが入った。「親父が逝った。大往生である。明日の通夜にちょっと飲まんか?」天は人を重陽の日に旅立たせるのが得意なのか?・・・で昨日、読経のあともう一人の友人と3人で飲んだ。「ウチの親父も重陽の日、菊の節句に逝ったんだ。」互いの父親は息子達に何も教えてはいかなかったけれど、友と語れる時間だけは与えてくれた。感謝!
「4月になれば彼女は」を練習している。サイモンとガーファンクルの初期の曲だ。7月にS&Gの名古屋ドームコンサートを見てやる気になった。今はスコアーが売られているので「チョットやれば出来そう」と思うかもしれないが、ところがギッチョン。ニュアンスと言うかライブ感と言うか微妙なところが違えばそれはもう違う曲なんですナ。声が違うじゃないかと言われてもシャラップ!マニアは細かいところにうるさくて、大きなところは目をつぶるもんです。
20090903 傘寿
明日ウチのお袋が八十になる。七十六の時、心筋梗塞で倒れて今までよく生きてこられたものだ。糖尿を皮切りにありとあらゆる病気をやったのではなかろうか。今は週3回の透析をしている。お袋が倒れて2年で元気だった親父のほうが脳梗塞であっけなく逝った。重陽の日、お袋の誕生日の五日後だ。もう丸3年が経ったんだと先日墓掃除をした時に思った。親父は享年七十八、良い人生だったんだろうか?お袋の口うるさささえなければ、良い人生だったろうと息子は思う。あっけなく逝くと言うのは息子の理想でもあるのだ。ある意味「潔し。」ある意味「手がかからない。」故人の嫌なところを思い出させない逝きかた。お袋は何を思うのだろう?
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