世知辛い昨今ホントにタナボタはあるのか?プチタナボタ、反タナボタ、非タナボタ、タナボタイズム、タナボタライフを考察
20241128
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20100701
アジサイの花
実家の庭の片隅にアジサイが植えてある。親父が逝って3年半の間、何も手を入れてない。アジサイは伸び放題で西隣の軒までとどいている。それどころか庭中がジャングル状態で日本庭園の様を成していない。市のシルバー人材の庭師の方にお願いして今週剪定をしてもらった。ああ、ここに千両が植えてあったんだ。とか、灯篭の頭が落っこちていたんだ。とか。とにかく親父は30坪ほどの庭を一人でコツコツ手入れをしていたんだと、今さらながらに思う。アジサイの茎は1メートルほどの高さまで切られ、今年の花はそれで終わった。来年も同じような色で咲いてくれるのを祈りつつ、日本庭園にもアジサイは有りだなと思った。
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20100618
幸せのカタチ
団塊の世代が結婚して家庭を持つようになって、いわゆる核家族という形があたりまえになった。何十年かが経って、気付けば老人だけで暮らす家ばかりになった。連れ合いが亡くなっても、今さら子供とは暮らせない。それぞれの事情もある。ウチもそうだし友達のところも似たり寄ったりだ。3世代4世代があたりまえだった頃の人にとっては、随分薄情な家族に写るかもしれない。そこで幸せのカタチだ。大家族の年寄りは核家族のそれより幸せなのか?個々の事情の違いは当然あるが幸せだとしたらそれは誰かの犠牲の上に成り立っている。大概の大家族の場合はお嫁さんの負担が大きい。嫁の思いやりなくして年寄りの幸せなし。と言っていいくらいだ。勿論ソコに暮らす年寄りの気遣いや気がねも当然ある。でもそれは一人残されたときの保険料みたいなものだ。後期高齢を迎えた年寄りが一人で暮らす負担やリスクは半端無いものだから。結局、大家族にしろ核家族にしろ幸せのカタチを作るためには覚悟がいるということです。
20100611
水無月が食べたい
もう随分食べていない。京都の和菓子「水無月」。白い外郎の上に粒餡がのっているやつ。少し冷やして食べるとまた格別。粒餡って書いたけど、そんなに甘くない。淡い甘みの小豆かな。今の時期、新茶のお茶請けには最高だね。水無月自体にきつい香りがないから新茶の香りが嬉しい。ああ、これからの人生は過去に感動したものや作品、自然の再認識がキーワードのような気がする。
20100527
歳を重ねる
知らず知らずのうちに物覚えが悪くなり、知らず知らずのうちに身体のあちらこちらが痛くなる。新しくものを覚えるどころか普段使っている固有名詞まで口から出てこない。身体のあちこちが痛くなるとか云って本当は何処が痛いんだか分からない。とは言っても運動もしなければ節制もしない。努力する人はすばらしいと思うが自分ではない。綺麗なものより変わったものが好き。娘には嫌われるより叱られるほうが安心する。人生は一回限りと云いつつ、神様に賄賂を贈ればもう一回あるかもと秘かに思っている。嗚呼、楽してぇと思いつつ働いていない自分を想像できない。秘かに60歳になったらロト6で2億円当たると思っている。そんな私が明日の午前6時に歳を重ねる。アーメン、合掌礼拝。チーン。
20100522
風船ふたたび
昨日、五つの赤い風船のコンサートに行ってきた。二年ぶりの名古屋でのコンサートである。一昨年のときも高校時代からの親友と見に行き、今回もまた一緒である。と言うのもコンサートとかの類のものは出演者または出演者の曲をよく知っていないとツマラナイ。特に70年代フォークはその当時でも好き好きが分かれていた。「風船」と聞いて「五つの」と出てこないようでは仲間はずれなのだ。人生は短い。懐かしい曲で自分がフルコーラス歌えるものはそんなにない。僕らはいまだにお互いのパートを歌うことが出来る。そんなフォークグループのコンサートなのである。60歳をとうに超えられた西岡さんの歌声はフォーク全盛当時と変わらないのが驚愕に値する。杉田次郎にしても伊勢正三にしてもなつかしのフォークとかでテレビに出てくるのだが聴くに堪えんぞ。風船の偉大さが分かる。西岡さんは聴衆が「ひでーなぁ」と思うことはしない人なのだ。聴衆にきかせれないレベルになったら歌わない人なのだ。そう思うコンサートであった。
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