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世知辛い昨今ホントにタナボタはあるのか?プチタナボタ、反タナボタ、非タナボタ、タナボタイズム、タナボタライフを考察
20250305 [PR]
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20070421 土鍋ごはん
ボクは炊飯土鍋(平たくないやつ)を使いガスでご飯を炊いている。3合に対して水660ccで一般的には少し柔らかめかも知れない。中火で沸騰するまで8~9分、弱火で9分ほどで火を止め10分ほど蒸らして出来上がりだ。冷めても美味いし以外に簡単に炊ける。面倒なのは3時間ほど前に米を砥いでザルにあげて置くことぐらいだ。炊きたてに塩鮭の焼いたのや海苔、漬物があれば至福のひととき。後は香りの良い緑茶があれば人生になんの不満があろうか。こう云うのが幸せだと歳をとらないと分らないのが人間の愚かなところか・・・。
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20070420 喜ぶ顔
この時期スーパーに筍が出回るとすぐに買いたくなる。ぬかを入れて20分ほど皮ごと茹で火を止めて冷めるまでそのままにしておく。皮を剥いて根のほうの硬い部分を5mm位の輪切りにし醤油を刷毛で塗ってオーブントースターで焼く。歯ざわりと少しのえぐみと香りがたまらない。料理でも美容の仕事でも喜ぶ顔が見えるから楽しいし張り合いが出る。笑顔は力になる。怒りのような瞬発的な力ではなく継続的な力だ。「アナタのーエガオがーミタイからー・・・」というコマーシャルがあったが、特定の人の喜ぶ顔はより一層の生きる力になるから・・・。
人は死ぬまで生きる。うつ病は一日にしてならず。食ったものは出る。馬鹿はひとつも憶えない。不眠症の居眠り。賢人は他人に教えない。子の心親知らず。美味いものには毒が多い。走り続けると疲れる。人は自分の肉体だけでは空を飛べない。坊主が欲張りなのではなく欲張りな奴が坊主になっただけ。信仰とは生き残った人たちが勝手にしているだけである。親とは安心していたい動物である。
娘は私立中学だったので毎日弁当を持って通った。殆んど毎日、どんな弁当を持って行ったかをボクはメモに残しておいた。(以前のホームページには店長のレシピとしてアップしてました。)そのメモをどこかに仕舞いこんだらしく、さてどんなものを作っていたか・・・。この時期だと、蕗と豚肉の炒め煮とか、新牛蒡と牛肉の炒め煮なんぞをよく作ってた記憶がある。欠かせないのが玉子焼きだ。娘は大葉を刻んで入れた出汁巻き風のが好きなんだけど、弁当には出汁巻きは合わない。汁っ気が出て弁当箱の中がベチャベチャになってしまう。本当に何を作っていたんだろう。そんなに前のことじゃないのに・・・。
仏教が欽明紀13年(西暦552年)に百済から渡来した時、一緒に来た使者が「福徳果報を生す」と言ったそうだ。「本来、空であるべき仏教にいきなり現世利益を説くのは笑止。」と司馬遼太郎さんも「わが国のかたち」と云う本の中で言っておられる。日本の仏教は初めからご利益つきで受け入れられてしまった。神道だって自然の畏れから始まった筈なのにいつの間にやらご利益をお願いしている。このように我が日本人はさもしい国民である。勿論私の体の中にも連綿と受け継がれてきたこのさもしいDNAがある。だから拝む。だからねだる。「もっと、楽に生きたいよー。」
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